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扉温泉で働いていたとき、よく走った薄川沿いの道を川上に向かう。例年よりだいぶ遅れて、でもお盆明けにはちゃんと肌寒くなった松本の街に、この日は暑さが戻っていた。徳運寺を過ぎたあたりから、気温がスンと下がる。久々の懐かしい感覚だ。今日の目的地は、このさらに上。美ヶ原・三城に仕事場を構える〈前田木藝工房〉を目指す。

「細工場(さいくば)ですね」迎えてくださった前田純一さんは、工房の見学を終えた僕に、自らの仕事場を「細工場」と呼んで、指物の本質をどう捉えているか話してくださった。木を板と棒にして、それを細やかに組み立てていく。〈前田木藝工房〉三代目の純一さんは、木という素材に囚われ過ぎず、金属やガラスも積極的に取り入れる。「人がほしいものをつくる」という工人としての使命感が常にある、と語る純一さんは、指物職人でありながら、椅子やテーブルまでつくる。

〈前田木藝工房〉は、明治三十四年、初代・前田南齋が東京・京橋で工房を開いたことに端を発する、江戸指物の家系。銀座や日本橋からやってくる芸者や歌舞伎役者のリクエストに応え続ける仕事には、当然ながら彼らと同じセンスが求められた。こうして培われた江戸の感覚は前田家の精神性として、代々受け継がれていく。時代が変わり、戦後日本が高度経済成長を遂げる中、大都市が消費だけの場に変わり果てたことを察した前田家は、二代目・保三のとき、生産と消費がバランスしている土地を求めて、湘南は鎌倉に移る。しかし、その移住先すらやがて宅地化が進み、電動工具の音などに配慮せざるを得なくなってしまう。父なきあと、さらなる新天地を求めた純一さんの足は自然と、奥さまの故郷である信州に向かっていた。松本の城下町気質が江戸のそれとよく似ている、と直感した純一さんは、その界隈を見てまわる中で、現在の地にたどり着く。木々に囲まれた三城の土地は、人工物からの影響を受けにくく、自らのセンスを希釈せずに済む。それは江戸の精神性という伝統を守り抜くために前田家の本能が下した判断だったかもしれない。

そんな父の感性は四代目の大作さんにも、もちろん引き継がれている。「作家でも工場でもない」家業だからこそ、代々継承されてきた江戸指物の美意識がフィルターとなって、仕事のあるべき姿を定める。大作さんが運営に携わっている「工芸の五月」関連企画「商店と工芸」では今年、「御使者宿市」という市が開かれた。「ちょうどいいものがない、ということだったからつくった」という大作さん制作の屋台は、立ち並んだとき会場に統一感をもたらし、市の風景をデザインしていた。「あれはうちの仕事だった」と大作さんが振り返ると、純一さんも静かに頷く。

「具合がいいものは美しい」と大作さん。時代や人のニーズに応えていて、機能性に優れていて、かつ、佇まいの美しいものをつくりたい。それは前田家が四代に渡って貫いてきたスタンスであり、変わり続けることで守り続けてきた伝統のあり方。求められたら応える。それも最善手で。そのための用意を怠らない。このしなやかで屈強な体質が、今日も〈前田木藝工房〉を更新している。

日が翳り出して、あたりの空気がまたひとつ冷気をまとった三城で、穏やかに微笑む親子に宿る職人としての揺るぎない信念を前にして、僕は胸中に心地よい火照りを感じていた。

text|toru kikuchi
photo|kokoro kandabayashi

SEPTEMBER.2018