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創業文化十二年。看板のその文字を見て、世界史専攻だった僕は、それが江戸後期の元号のひとつであったことを、かろうじて思い出す。「化政文化は町人文化」と丸暗記した。お茶屋〈堤治〉の歴史は「歴史」と呼ぶに相応しく二百年を超える。現在八代目。今回は現会長で先代の縣正長さんにお話しを伺った。

そもそもは大町方面にいた先祖が、池田あたりで栽培されたタバコを松本まで行商に来ていたことが、商売の興りだという。一八一五年、初代・縣治郎衛門が茶とタバコを扱う商店を構えるにあたり、本町の町名主、近藤家の屋号「堤屋」の「堤」と、自分の名の「治」を合わせて、店名を「堤治」と定めた。以来、時代の流れに応じて商材や商法を柔軟に変えつつも、今日までお茶屋として歩み続けている。

例えば「父が戦争から戻って来たときには、お茶の小売だけでは難しいということで、砂糖や菓子も加えて卸中心でやっていました」と正長さん。一方、自身が大学進学で出ていた東京から戻り、家業に加わった昭和四十年代は、問屋業が下火の時代。当時まだ松本にはなかったビジネスホテルの先駆けとして、敷地内に〈ツーリストホテル〉を構え、お茶屋は小売に専念する方向に舵を切った。現在イオンモール松本が聳える地にあった〈松本カタクラモール〉には、昭和五十六年の開業当初から平成二十七年の閉業まで、三十四年間テナントとして寄り添い続け、その間、南松本や三郷の商業施設にも支店を展開させた。いまは本店一軒に絞り、近しい常連さんや馴染みの旅館や料亭とのやりとりを深めている。

「仕入先との信頼関係さえしっかりしていれば、お客さまに迷惑をかけることはない」正長さんの言葉どおり、〈堤治〉の店頭には全国の産地から選び抜かれた銘茶と茶道具が誇らしげに並んでいる。伺ったその日、正長さんの長女でふだんから店に立つ瑞恵さんが、店内の一角で工芸品の企画展を催していた。手渡されたその案内状、綴られた一節に目が留まる。「こうして仕事を続けていけることへの有り難さを日々感じます」二百三年の歴史があっても、そこに積み重ねられるものは一日一日でしかなくて、そしてその毎日は「有難い」時間なのだ。万事に感謝。続けるとはそういうことだし、老舗とはそういうものなのだろう。大切なことを教わって温かい気持ちで外に出ると、まだ高い夏の日が少しだけ夕暮れに向かい始めた頃だった。

text|toru kikuchi
photo|kokoro kandabayashi

AUGUST.2018