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こんにちは。店主の菊地です。いつも栞日をご愛顧いただき、ありがとうございます。

新型コロナウイルスが各地で猛威を振るっています。北海道では知事が緊急事態宣言を出して外出を控えるように訴え、政府は全国の小中学校・高校に臨時休校を要請、企業は入社式や説明会の開催を取り止め、プロスポーツや各種大会も延期や中止、レジャー施設や百貨店が休業や縮小営業を決めました。全国ニュースで流れてくる情報を、こうして改めて書き連ねるだけでも、まさに明らかな異常事態です。

栞日がある長野県でも先日、松本保健所管内で二人の感染が確認され、県からも市からも不要不急の催事を控えるよう声明があったことを受けて、規模の大小を問わず、あらゆるイベントが延期・中止の判断を余儀なくされました(僕も自分が企画あるいは関与している幾つかのイベントを取り下げました)。周囲で話を聞くだけでも、宿泊や食事は予約のキャンセルが相次ぎ、毎日の収入の積み重ねで回っている小規模のホテルやレストランは、ただでさえ閑散期で苦しいこの冬の時期に、大きな痛手を被っています(実際のところ、その空間ありきの宿泊業や飲食業はリモートワークやテレワークなどできるはずもなく、特に会社からの給与もない個人事業は収益が減る中で家賃などの固定費は変わらず、政府のセーフティネットの対象となるのかさえよく判らず、なかなかどうして厳しい境遇です)。そういう僕自身も、栞日のカウンターから表の通りを眺めていて、旅行者はもとより居住者も含め、道ゆく人が極端に減ったことを痛感しています。

科学や医療がどれだけ発達しても「わからないものはこわい」という人間の動物としての本能は、原始の頃から恐らく大して変わっていないのでしょう。そしてそれは、実に正しい感覚だから、今回の未知のウイルスに対する社会全体のリアクションは、極めて自然な動きだと思います。ただ、街からマスクが消えたとき、その異様な光景を目にして、震災直後の混乱が脳裏をかすめたのはきっと、僕だけではないはずです。

もちろん、でもだからといって、この状況下で「感染の恐れがない方は、普段どおりの生活を心がけて、ぜひ栞日にもお出かけください」などと云うつもりは毛頭ありません。いや、そもそも、もはや「感染の恐れがない方」など、日本中どこにもいないのかもしれないし、国が云う「この二週間が瀬戸際」という見立てにしても、パンデミックに陥った場合/それを免れた場合、いずれのシナリオも「その先」を一切描けていない以上、とにかく先行きが不透明すぎます。だからこそ漂う、この社会の不安感なのでしょう。

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僕なりに情報を集めて回り、周囲の声を聴きながら、繰り返し思案した結果、一定以上の非難や批判は承知の上で、栞日としての当面の対応方針を、次のとおり定めました。


栞日(本店)

▼ 書店および喫茶としての営業を、当面は通常どおり継続します(発熱や咳などの症状がある方、体調に不安のある方は、ご利用を控えていただきますよう、お願い申し上げます。一人ひとりの良識ある判断に期待いたします)

▼ 2F企画展示室に関しても、計画されていた展示は予定どおり開催します(年間スケジュールを組んでいるため、延期などの調整が難しい状況です。ただし、作家の意向を都度確認して、場合によっては中止します)。

▼ 特定多数/不特定多数の参加者を募って開催する企画(トークイベントやマーケットイベントなど)は、事態が終息するまで開催を見合わせます。

▼ 一対一で開催できて短時間で完結する企画(受注会など)は、予定どおり開催します(ただし、作家の意向を都度確認して、場合によっては中止します)。

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▼ 毎回1組限定(定員最大3名)のミニマルな宿泊施設なので(感染リスクは比較的低いと考え)、通常営業を継続します。

栞日分室

▼ (本店と異なり春以降の企画展を目下調整中だったこともあり)毎月の企画展は当面見送り、事態が終息するまでは、栞日がセレクトした定番の日用品を陳列する常設展を開催します。

▼ 映画上映会「栞日シネマ」についても、事態が終息するまでは次回以降の開催を見送ります。


※ 栞日が企画運営に携わっているブックフェス「ALPS BOOK CAMP」に関しては、予定している 6.13[土]14[日]の開催について、現時点での判断は見送り、4月末を目処にそのときの情勢を見極め、改めて判断した上でご案内します。


以上はもちろん現段階での方針であって、事態が急転した場合には、迅速かつ柔軟に対応を変更して参ります。

それでも当面は普段どおりの営業を続ける、と決めたのは(ひとつには僕自身にとって日々店を開けることが日常で、そこが崩れると精気を損ねてしまいそうだから、という至極個人的な理由がある訳ですが)、この社会の閉塞感に囲われてひとり家にいたら気が滅入ってしまいそうになったとき、その誰かのエスケープ先になれたなら、という考えに基づいてのことです。

それはもちろん僕のエゴイスティックな自己満足にすぎないし、おこがましい願望に相違ないのですが、こういう局面こそ、世間の騒動から一歩身を引いて、ひとり冷静に自分の大切にしている価値観や判断基準を取り戻すための時間を設けることが、個々人の次の正しい行動に繋がるのだと信じたいし、その時間を確保するための空間と、その時間に寄り添うための一杯の珈琲と一冊の本を、用意して差し出すことができるのなら、可能な限り栞日は開けておきたい、と思うのです。

このような状況下だからこそ、栞日に足を運んでくださった一人ひとりを、僕らは普段どおりにお迎えします。だって、六年前に開業した当初から、栞日のWEBサイトには、こう掲げてあるのですから。

「あってもなくても構わないけれど、あったら嬉しい日々の句読点。」
-  It’s like a little punctuation mark that brings calmness to your mind.

菊地徹 / 栞日