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あの階段は特別だ。その先に待っているのは音が体を包み込む空間。そして思索や内省に深く潜るための静寂。ステップを踏むごとに、心地よい緊張が走る。ずっと聞きたかったジャズ喫茶〈エオンタ〉の物語を店主の小林和樹さんから伺った。
生まれは静岡県三島市。父親の仕事の関係で数回の転校後、松本の高校に入学して下宿生活。緑町にあった喫茶店〈アミ〉に入り浸る。そこでは夜はマスターがフォーク・ロックを、夕方は妹さんがジャズをかけていた。時は六十年代後半。学生運動やベトナム反戦運動、オルタナティヴの波が、地方にも押し寄せていた。〈アミ〉には、信州大の学生やヒッピーなど、多様な人々が集っていたという。
高校を卒業した小林さんは、荻窪の乳業会社で営業職に就き、仏語学校にも通い出したが「ジャズ喫茶ばかり通っていた」そうだ。それは中野にあった〈オーディトリアム〉。「ものすごく音がよかった」「伝説の店」と振り返る。そして、数年のうちに〈アミ〉でのアルバイトをきっかけに松本に戻った。最初は〈アミ〉に泊めてもらい、そのうち東京の部屋も引き払った。
しばらくして、以前から〈アミ〉で交流のあった友人が見つけてきたのが、いまの〈エオンタ〉の空間だ。彼とはかねてから「ジャズが聴ける場所がほしい」と話していた。当時、一階には〈かつ玄〉が入っていたが、二階はまだ空いていて、小林さんは知人伝いにここを借りることができた。「自分でも若すぎると思っていた」という開業は、七十四年三月のこと。ジャズの潮流が、ハードでアバンギャルドなものから、スムースで軽い音楽に大きく変わった時期で、「無謀だとは重々承知」ながら、手元にあった機材と三百枚ほどのレコードで〈エオンタ〉はスタートした。あの〈オーディトリアム〉に倣ってつくった空間は、開業当初から変わらない。壁のカーペットは、音の反射率を調整するため。徐々に増えていったメニューは、すべて独学のオリジナル。「世間の規格とは全く違う」けれど、自分が良いと確信したものだけを提供するスタンスは一貫している。この春、〈エオンタ〉は四十五周年を迎える。
当初は正午に開店。昼間、何時間も過ごしていく若者がたくさんいた。いまは彼らの子どもたちが通ってくる。半世紀ひとつの場所を続けるということは、そういうことだ。一方で小林さんは「まったく退屈しない」と笑う。毎日ジャズが聴けるから。世界中から新しい音楽が次々に生まれてくるし、古い盤をかければ初めて聴こえる音がある。米国一極集中が崩れて、ジャズは世界各地で独自の発展を遂げ、その多様性が魅力だという。「近年は北欧や東欧が力強くておもしろい」と語るその好奇心は留まるところを知らない。
語感がよかったから付けたという店名は「EONTA」と綴り、古代クレタ語で「存在するものたち」を意味する。珈琲の香りとジャズの響きで満たされた店内は、壮大なスケールの世界観と時の流れが蓄積された小宇宙に相違ない。
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text _ toru kikuchi
photo _ kokoro kandabayashi
MARCH.2019