帰省のときや県外の友人を訪ねるとき、必携の手土産がある。〈新橋屋飴店〉の「まめ板」だ。ひとくち大の平たい飴の中に落花生がたっぷり入っている。珈琲にもよく合う万能のお茶請けで、カリポリッと鳴る食感も愉しく、あらゆる相手から喜ばれる。軽く、かさばらず、常温で日持ちする。さらにはお手頃価格なので、数も用意できる。この三拍子どころか四拍子揃うと、移動が車でも電車でも、訪問先が幾つもある旅のとき、本当に重宝する。
松本の正月の風物詩「あめ市」に向けて、名物「福あめ」の製造が最盛期を迎え、多忙を極めるなか、無理を押してお願いしてしまった今回の取材に「曇りで『まめ板』をつくる日の作業中でもよければ」と都合をつけてくださった。訊くと「福あめ」はカラッと晴れた寒い日でないと製造できないデリケートな品で、その日は相当な集中力を要するという。好物「まめ板」の製造現場に立ち会えるなんて願ってもないこと。ありがたく、国道十九号沿いの製造所に伺った。
併設している直売店に入り、カウンター脇のドアから奥の製造所に進むと、三名の従業員の皆さんが飴づくりの最中だった。ガラス戸で仕切られた、さらにひとつ奥の部屋で、四代目・田中聡さんが、薪をくべる竃に向かい、飴を煮詰めている。季節や天候によって素材の状態が変わるから、適切な柔らかさの見極めは、田中さんの経験と感性がすべて。木べらに感じる飴の重さや、飴の糸の引き具合で、火から外す瞬間を決める。程よく溶けた飴は、鍋ごとこちらの部屋に運び込まれ、粉を敷いた作業台に流し出される。その飴をのし棒で平たくして、特製のローラーカッターで切り込みを入れ、手箒でまわりの粉を払う。バットに移し、手で割っていくと、あの「まめ板」が姿を現した。すべて手仕事。その一連の所作の美しさといったら。見惚れていると、ちょうど三人の作業が一巡したころ、田中さんがガラス戸を開けて、次の水飴を届けにきた。まさに阿吽の呼吸だ。
〈新橋屋飴店〉は江戸嘉永年間の創業。詳細は不明だが、元々は武家だったそうだ。澄んだ空気と清らかな水に恵まれた信州松本で、地元のもち米と麦芽だけでつくる純粋な米飴にこだわって、百六十年以上、この仕事を続けてきた。往時はお遣い物としての需要も高く、個人宅への配達も数多あった。いまも人気の土産物として約二十件の取引先に卸している。どこも長い付き合いだ。新春の「あめ市」で〈新橋屋飴店〉の「福あめ」を求めることを毎年の楽しみにしている人も多く、従業員の皆さんは「この味を永く伝えていきたい」と朗らかに笑い、口を揃える。信州の風土が詰まったこの飴を、旅先の誰かに届けることが楽しみな僕も、そのことを願ってやまない。松本に〈新橋屋飴店〉あり。
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text _ toru kikuchi
photo _ kokoro kandabayashi
JANUARY.2019