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「昭和九年頃のもの」という親族の集合写真をレジ頭上の定位置から外して、店主の大野貴由さんが持ってきてくださった。「この女の子が僕の母。昭和二年生まれの母が、ほら、七歳くらいでしょ。だから昭和九年頃の写真かな」見ると、和装の可愛らしい少女が大勢の大人たちに囲まれて写っている。このお母さんが先代で、貴由さんが三代目。街の人たちに親しまれる食堂〈大野屋〉の歴史は長い。

もともと松本の西方、上高地に至る手前の島々地区で生まれた祖父が、東京・神田は万世橋のたもとで始めた洋食屋がその興り。そして、大正十二年の関東大震災で被災、帰郷した一家は、松本市街地で和洋食店を再開した。現在の店舗がある場所ではなく、女鳥羽川沿い、中の橋のたもと、中町通り側の角地がリスタートの舞台。先程の写真には、このときの木造三階建ての店舗を背景に人々が集まっている。養蚕業が興盛を極めた時代の松本では、大野屋に外食に出かけることは市民の娯楽のひとつだった。店は宴会に次ぐ宴会で、大いに賑わったという。昭和二十年頃、道路拡張に伴い、当時の店舗が取り壊しを余儀なくされると、大橋通り沿いの現在の位置に移転。その数年後に養子入りした貴由さんのお父さんが「駅前ではないから(お客さんを)待っているだけではいけない」と、いまも続く仕出しの仕事に着手し、成功を収めた。

「六年後が百周年なんだ」と言って目を細める三代目は、すでに次男の陽平さん、三男の雄貴さんと一緒に店に立ち、少しずつ仕事も引き継いでいる。最近完成したホームページも、息子さんたちの手によるものだ。冒頭の写真を「ほらここ」と指差しながら貴由さんが言う。「看板のここに『皆様の』ってあるでしょう。これがうちのコンセプトなの」時代の流れで変わるものもあれば、変わらない、あるいは譲れない心根もある。初代から通底する〈大野屋〉の精神は、これからも変わらずに受け継がれていくに違いない。

text|toru kikuchi
photo|kokoro kandabayashi

JUNE.2018