▼ 会期|2020.3.6[金]- 3.15[日]11:00-18:00
▼ 会場|10cm[松本市大手2-4-37]
▼ 出品|(以下、敬称略)
▽ 広瀬一郎 /〈桃居〉店主
▽ 鞍田崇 / 哲学者
▽ 高木崇雄 /〈工藝風向〉店主
▽ 井出幸亮 /『Subsequence』編集長
▽ 菅野康晴 /『工芸青花』編集長
▼ 監修|三谷龍二
今週末 3.15[日]まで、松本在住の木工デザイナー、三谷龍二さんのギャラリー〈10cm〉では、企画展「工芸批評」を開催中です。昨秋、〈松屋銀座 デザインギャラリー1953〉で開催され、年始には福岡〈工藝風向〉に巡回した同展の松本巡回展。なぜいま「工芸」の「批評」を試みるのか。以下、公式サイトから三谷さんのステートメントを転載します。
「箱書き」や「賛」のように、日本では制作者と使用者の二人三脚によって工芸を支えてきた歴史があります。また、器を購入し、食卓で使うことも生活者の直感による「批評」といえます。こうした非言語の批評は日常的に行われてきた一方で、言語による「批評」は極めて貧しいものでした。しかし、2010年を超えた頃から、工芸を言葉で語る新たな人々の登場がありました。そして彼らによって、近代工芸の再検証が進められているように思います。本展はその中心をなす5人の論客の選んだ「もの」と「言葉」によって、明日の工芸を考える試みです。
「明日の工芸を考える試み」。
僕が三谷さんとその周辺(それは「生活工芸」とその周辺、あるいは『工芸青花』とその周辺、といえるのかもしれないし、松本でいえば毎年五月の「六九クラフトストリート」とその周辺、とも重なるのかもしれないけれど、いずれにせよ三谷さんとその周辺)に興味が尽きないのは、このたゆまぬ思索が次にどこに向かうのか、リアルタイムで目撃したい、という好奇心ゆえだと思います。これまで感覚的に語られがちだった工芸に対して、言葉を与え論理的な考察を加える今回の試みには、確かな新章の幕開けを感じました。しかもそれが、作家たちによる内からの発信ではなく、工芸店の店主や哲学者、編集者という外からの「批評」によって成されている点に、僕は「手」の力に呼応する「眼」の力の可能性を感じて、嬉しくなってしまいました。三谷さんたちの深く柔らかな眼差しは、「これまで」に敬意を払いつつ、いつも「いま」と「これから」に向けられていて、工芸と生活者の接点の在り方を考え続ける企画の数々には、毎回あたらしい発見があります。会場を訪ねる度に、僕も自分が成すべきことを怠らずに考えよう、と姿勢を正したくなります。
写真は、松本巡回展で併設されている、〈桃居〉広瀬さんがセレクトした「工芸の現在」を示す品々の中から、思わず求めた二点。津田清和さん(奈良)の硝子と、ハタノワタルさん(京都)の紙箱です。