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photo|kokoro kandabayashi

こんにちは。〈栞日〉店主の菊地です。
いつも〈栞日〉をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
おかげさまで〈栞日〉は本日、開業五周年を迎えることができました。
今日まで〈栞日〉を支えてくださったすべての皆さまに、心から感謝申し上げます。

そして、日々の営業を支えてくれている、愛する家族と家族同然のスタッフたちに感謝します。
いつも、本当にありがとう。

五年という節目を迎えて思うことは多々ありますが、この先の〈栞日〉の役割って何だろう、ということを最近はよく考えます。
これは、六年目以降、ひとまず十年目を見据えたときの〈栞日〉の所信表明です。

まずは、本屋としての役割。

本屋としての〈栞日〉を紹介するときには「国内の独立系出版物を中心にセレクトした新刊書店」と説明しています。五年前の今日、僕が松本に開いた〈栞日〉が本屋だったのは、この街にあったら(少なくとも僕の)暮らしがもっと愉しく豊かになりそうな要素として「多彩な本屋」を感じていたからでした。そして、もし僕自身がその「多彩さ」のひとかけらになれるとしたら、それは学生時代から好きで集めていたリトルプレスを中心に構成された新刊書店をつくることでした。初めは当時二十六歳だった僕の興味関心が、そのまま選書のテーマであり、振り幅でした。衣食住を中心とした所謂ライフスタイルのこと、ローカルのこと、海外カルチャーのこと、働き方や生き方のこと。この時代のこの国に暮らす(特に同世代であれば)誰しもにきっと関わりがあって、誰しもがきっと考えること。旗印として掲げたフレーズも「心地よい暮らしのヒント」でした。

店を始めてしばらくすると、独自に制作した出版物の販路を開拓中の著者・編集者の皆さんから連絡をいただく機会が増えてきました。自分の関心が及んでいなかった方面にも、実に多様な世界と表現があるという至極あたりまえの事実を、僕はこうして知っていきます。そして、それらの本を通じて出会った言葉や写真やドローイングたちは、何にも媚びない、健やかでまっとうなものばかりでした。世間の潮流に与しない、偏って尖ったそれらの声は、でも一方で、ともすれば時代の轟音にかき消されてしまう、寄る辺ないちいさな声たちでした。そういったちいさな声の中にこそ、美しいものや本質的なもの、真実と呼べるものがあることを教わった僕は、この春〈栞日〉の旗を揚げなおしました。「ちいさな声に眼をこらす」。不特定多数の誰かにとって「心地よい暮らしのヒント」になり得る当たり障りない情報をひと通り揃えておくよりも、響く人にズンと響くちいさな声をひとつずつすくい上げて、ひつとずつ届けていく方が、インディーの表現を扱うインディーの本屋の仕事として、正しいように思えたのです。そして、僕自身は表現者ではないから、よくよく眼をこらす努力を怠ると、大切な声をすぐ見落としてしまう。同じ表現者なら機敏に察して拾い上げることができるのだろうけれど、あいにく僕にはそのような本能や才能は備わっていない。それでもこの先この領域に携わる「本屋」を名乗りたいのならば、鍛錬するほかないでしょう。鍛錬します。この五年間、幾度となく口にしてきた「自分で店を始めるまでは書店員のバイト経験すらなくて」というもっともらしい言い訳と、そろそろサヨナラするときです。

それから、本屋の枠にとらわれない役割。

〈栞日〉は本屋を名乗りつつも、実のところ何屋なのか未だ定まりきらない店です。喫茶店としても場を開いていること。作品展やポップアップストア、トークイベントやワークショップ、音楽の演奏会など、店内で企画が起ち上がること。冬のスタンプラリー「Matsutmoto Winter Wlaker」や夏のブックフェス「ALPS BOOK CAMP」など、店外で企画を起ち上げること。(鎮座したままにさせてしまっていて本当に心苦しいのだけれど)活版印刷機が店頭に鎮座していること。中長期滞在型の宿〈栞日 INN〉を営んでいること。街の空き家の利活用に取り組むチーム〈そら屋〉のメンバーであること。などなど。本屋の領分の越境もいいところです。

ただ、これらはいずれも、僕がこの街に – 「ALPS BOOK CAMP」に関しては、この土地に – あったら(少なくとも僕の)暮らしが愉しくなると信じたい要素をひとつずつ具現化させていく、という、どこまでも個人的な希望に由来する、どこまでも身勝手な行為が、表面化した結果でしかありません。ここで暮らしたい、ここで店をやりたい、と惚れた街が松本だったから、この街に対してポジティブに作用しつつ住まわせていただく手段を僕なりに考え抜いた結果、〈栞日〉を本屋にする道を選びました。自分が暮らしたくて暮らし始めた街が、暮らしたい街であり続けてほしい、という、これまた非常にパーソナルな願望が、僕のあらゆる行動のモチベーションになっています。これは学生時代の親友の持論「恩返し論」の受け売りです。すなわち「住みたい土地に住まわせてもらう。その代わりその土地にポジティブな影響を与える」という理論。僕はいま、松本という街で、その理論の実践を試みている最中で、このトライ&エラーには、まだ見ぬ深みがある様子なので、もうしばらく潜ってみたいと思います。

〈栞日〉という店を構えよう、と決めたのは、大学二年の秋でした。より正確には、自分の生き方として「恩返し論」を実践しつつ日々の暮らしを営むことを決め、それを実現するための装置として〈栞日〉という店を暮らしたい街に構えることを決めました。実際に店を開いて五年が経って、いま思うことは、拠点となるリアルな場の重要性と可能性を確信しつつも、必ずしも場であることに囚われ過ぎずともよいかもしれない、ということです。まだ確証には至りませんが、僕が〈栞日〉という装置もしくは活動を通して実践したい「恩返し論」(住まわせてもらっているこの街に返したいポジティブな作用)の本質はどうやら「自由で創造的な時間や空間や気分」をつくることにあるようだ、と朧げながらに掴めてきました。それがつまり、本屋を含めた、本屋の枠にとらわれない、この先の〈栞日〉の役割のようです。

やることも、やりたいことも、次々と湧いてくる状態なので、当面は走り続けられそうです。気づいたら十年目、くらいでちょうどいいのかもしれない。ただ一方で、時代の状況が待ったなしという案件も幾つかあります。それらを「間に合わなかった」で終わらせないためには、正しい知識と理論に基づく確かな分析と、大胆な戦略と、緻密に設計された戦術と、そのプランを粛々と遂行するための機動力が、きっとすべて不可欠で、これはもう明らかに組織体制で挑まないとアウトな規模の話なので、チームでの戦い方をもっともっと真剣に考えなくては、とも感じています。(思いのほか長くなってしまったので、この話は改めて…)

さぁ六年目のはじまりです。
この先の〈栞日〉も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

菊地徹 / 栞日